門井慶喜著「銀河鉄道の父」を読みました。

宮沢賢治は誰もが知っていても、その父となると
「一体どんな人物だったの?」ですよね・・・
政次郎は1874年生まれ、家業の質屋兼古着屋を継ぎ
地元でも有数の商家でかなり裕福でした。
自身の商才で財をなし著名人を招き勉強会を開いたり
地元の名士として活躍した人物のようですが、
政次郎が22歳の時に長子としての賢治が生まれ、
その時から政次郎の「父」としての人生が始まりました。
賢治には後に4人の妹弟が生まれるのですが、
政次郎は賢治への過剰な愛情が抑えられず、
家長としての威厳と賢治を思う親としての心情の間で
常に人知れず右往左往する事になります。
賢治が二度入院した時には家族の声や世間体を無視して
自ら泊まり込んで看病をし、挙句自分も入院する羽目に。
賢治は質屋を継ぐ気はなく、かと言って仕事も定まらず
製飴工場をやりたい、人造宝石を作りたいなどと言っては
その度資金は政次郎を当てにしていると言う甘ちゃんで、
政次郎は頭を抱えながらも、深い愛情で見守り続けます。
政次郎は父としての自分をこう内省します。
「われながら愛情を我慢できない。不介入に耐えられない。
父親になることがこんなに弱い人間になることとは、
若いころには夢にも思わなかった。」と。
賢治と特に仲の良かった妹のトシが24歳で結核で亡くなり
賢治もまた結核で37歳の時に亡くなるのですが、
政次郎と妻イチの気持ちはいかばかりだったろうかと。
賢治が彼らにとって手強い「困ったちゃん」であったため
親側の心情も激しく揺り動かされる場面が多いのですが
その分濃密な親子関係であったのは間違いなく・・・
それにしても賢治は素晴らしい父と母に守られ育てられた
幸せな人だったのですね・・・
そして、私自身も子供たちとの親子関係を考えてみれば、
不介入に耐える事の難しさを常に実感しているので、
政次郎の気持ちには共感しかありませんでした。😆😆😆
スマホショルダー、第7弾です。




私は「雨ニモ負ケズ」の全文をコピーして
いつも作業部屋の壁に貼っています。
もうにっちもさっちも行かない気持ちになった時に
声に出してそれを読む事にしているのですよ。(笑)
「サウイフモノ二ワタシハナリタイ」まで読むと
心が洗われて気持ちがしんとして来ます。
それと宮沢賢治の童話は自分で読むよりも
誰かの朗読で聞いた方がずっと味わい深い気がします。
昔「宮沢賢治記念館」に行った事はあるのですが
だいぶ昔の事で記憶はかなりおぼろげなので、
いつかまた行ってみたいなとも思っています。
今日のリス友は、チビリスです。


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